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外の世界と内の世界

思えば物心ついた時から、なんで周りの人はあんなに外の世界に一生懸命にのめり込めるんだろう、と思っていました。 私は、といえば基本的に自分の内面の世界にしか興味が持てず、自分の中での様々な空想や妄想に没頭し、自分自身の中に沸き起こる感覚をもてあそんで楽しんだりしていました。 みんな自分の世界から一生懸命に目を逸らし、まるで恐ろしいものから逃げるように、外の世界の出来事に没頭する。 なぜみんな自分の内面の世界に興味がないんだろう、なぜそれを見ることを頑なに拒むんだろう、こんなに楽しいのに、と不思議に思っていましたが、いつしかこの世界ではそれが当たり前なのだ。そしてそれをしない自分のほうがおかしいのだ。と思うようになりました。 でも、外の世界は私にとって「つまらない」ものでした。 何か楽しむための型みたいなものがあって、それが次々と提供されていく。みんなが好きな型はおまえも好きなはずだ。なぜ興味を持たない?じゃあおまえの好きな型はなんだ?そんなものない?そんなわけないだろう?おまえの型を教えてくれ。何かあるだろう? そんな世間の無言のプレッシャーみたいなものをいつも感じていましたが、言語化できるわけもなく、モヤモヤしながら結局世間に迎合していました。 そしていつしか、自分も世間のプレッシャーに飲み込まれ、そして無意識のうちに自分がプレッシャーを与える側にもなっていきました。 そうなるとどれが本当に自分の望むことなのか、それとも「望まされている」のか、どんどん見分けがつかなくなっていきます。 そして、いつしか曖昧な意識の中で考えることを止め、主体的に選ぶことを止め、自分の世界を見ることを止めてしまいました。 しかし徐々に時代が変わり、内の世界が大事にされ、それぞれが自分の世界をつくり、発信し、響かせ合う、そんな時代がやってきました。 私は今では外の世界も内の世界も両方楽しめるようになりました。 それでもやはり、内の世界を見ること、体感すること、そして創造していくこと。それを楽しむことは止められません。きっとこれからもそうでしょう。

見えない世界が視えるようになるまで 3

前回 の続き 首里城で出会った女の子とはその後も何度か行って話していました。 話す内容といえば日常で起こったことや悩み相談等、本当に他愛もない話でした。 しかし会う度に感じていたのが「この子は何か深い悩みを抱えている。でもそれを私に話すつもりはないらしい」ということでした。 そこで、何か力になれないかと思い、その時やっていたホ・オポノポノを教えてあげることにしました。(ホ・オポノポノに関してはまた何か記事にしようと思っています) 「ずっとそこにいて退屈でしょ?ホ・オポノポノというのがあって、ありがとう・ごめんなさい・許してください・愛してますと唱えているだけで気分が軽くなれるよ」 と言うと 「ありがとう、早速やってみるよ」 と彼女は言って、その日は別れました。 しばらく経ってからその子のところに行ってみると、いつもの場所で感じる彼女の気配がありませんでした。 どうしたんだろう?と思って、ふと上を向くと、キラキラした女神のような彼女がいました。 「ありがとう。教えてくれたホ・オポノポノのおかげでとても軽くなって、光が満ちてきたの」 と言いました。 その時の彼女は今までの女の子ではなく、まるで女神のような、大きな姿でキラキラしていました。 今はその場所に彼女はいませんが、場所に関係なくつながることができるようになりました。 そんな出来事があってから、私は「もしかして自分には見えない世界を視る能力があるのかもしれない」と思い、あちこちの神社やお寺、御嶽やパワースポットと呼ばれる場所にいって、見えない存在とコンタクトを試みました。 イメージで見えるときもあれば全く感じないときもありましたが、コンタクトを試みる毎にその感覚がだんだん研ぎ澄まされていきました。 そして、闇雲に繋がるだけでなく、つながったときに心地いい感じ、悪い感じがあることがわかりました。 心地いいと感じた時だけつながるようにし、心地悪いと感じたらすぐにコンタクトをやめて般若心経を唱えたり、粗塩をまいて浄化するようにもしていました。 (もし見えないものとコンタクトをとろうと思う方は、自分自身の感覚を大切にしてください。心地悪いと思ったり違和感を感じたら、すぐにコンタクトをやめて離れるようしてください) そして、その後はスターシードという概念も知り、宇宙ともコンタクトをとるようになりました。 ここまでいろいろ物語

見えない世界が視えるようになるまで 2

前回 の続きです。 母の写真のことがあってから、自分には第六感みたいなものがあるのかも?となんとなく思いましたが、その後は特に何もなくそれっきりでした。 その後もスピリチュアルなことに興味はあって、いろんな本やブログやyoutubeを見ていましたが、特に能力が身についたりはせず、ある意味エンタメ感覚で楽しんでいました。 そんなある日、私は首里城に散歩に行きました。小さい頃首里に住んでいて懐かしさを感じるのと、首里城とその周りの雰囲気が大好きなので、たまに散歩に行っていました。 その中に京の内という場所があって(氣になる方は調べてみてください)小さい森のような場所なんですが、そこのとあるガジュマルがあるスポットがすごく好きでした。 今まで何度も来たことはあったんですが、その時はいつものスポットの前に来た時に、 なぜかふと頭の中に女の人のイメージが浮かんできました。 歳は10代前半くらい、白装束のようなものを着ていて顔ははっきりわかりません。 まあ自分の思い込みだろうなーとは思いつつ、半分遊びみたいな感じでその人に話しかけてみることにしました(頭の中で) 「こんにちはー。〇〇から来たマコトです」と挨拶すると、 「やっと氣づいてくれたのねー」 という女の人の声があり(頭の中で) びっくりして、 「話せるんですか?」 と聞くと、 「私はずっと話しかけてたよー。アナタが氣づかなかったんだもん」と言われました(笑) 頭の中の声ですが、明らかに普段の自分の声と違う女の人の声だった のでちょっと戸惑っていました。 そして、見た目と違ってちょっと今どきの女の子っぽいな〜と思いながらも、その後もいろいろ話を続けました。 まるで昔からの友達みたいにこちらの話をウンウンと楽しそうに聞いてくれるのですが、彼女自身のことを話すことはほとんどなく、名前や何をしているのかを聞いてみても全然答えてくれませんでした。 かなり長い間そこにいるらしく、とても明るい感じの人でしたが、どこか寂しそうでもありました。 それでも、私は秘密の友達ができたような気持ちになり、嬉しくなってその後も何度かそこに足を運んで、いろいろと他愛のない話をしていました。 そんなある日、、、 またまた 次回 に続く! (引き延ばしてすいません、次回でラストです)

見えない世界が視えるようになるまで 1

前回 の続き この記事では、私が見えない世界をどうやって視えるようになったか、という話をします。 私の場合は感覚で感じるタイプなので、そもそもそれが見えない世界のエネルギーだということに氣づきませんでした。 小さい頃から何だかこの世界はいつもカオスで、ぐちゃぐちゃしてて、どこにいっても気の休まらない世界だと思っていましたが、それは無差別にいろんなエネルギーを感じ続けてたからだと今になって氣づきました(笑) いつも疲れやすくて、頭の中がいつもパンパンで、どこにいっても休まらない。今から考えると センサー開きっぱなしで、コントロールする方法を知らなかった んだなって思います。 はっきりと見えたり聞こえたりではなかったので、 見えない世界に関してはそもそも否定的でした。 スピリチュアルに興味を持ち始めたのは24,5歳の頃で、その時も自分に全くそんな能力があると思わず、 お金を払って講座に行くか、誰かに弟子入りして修行しないとそんな能力は身につけられない と思っていました。 本やブログやYoutubeでスピリチュアルなことをやっている人達を知って、自分もあんな能力があればなー、でもお金も誰かに弟子入りする勇気もないし、、、と思ってました(笑) それとは別に、当時メンタル的にはボロボロだったので、セドナメソッドや潜在意識の知識を得ながら、自分の心と向き合うことをひたすら続けていました。 そんなある日、 急にフッと心が楽になれる瞬間 がありました。 疲れきってベッドに倒れこんだときの安心感というか、急に見えている世界がキラキラして優しく見えて、本当は自分とつながっている一つのものなんだ、ということが体感で腑に落ちたんです。 それをワンネス体験とか、悟りとか覚醒とか呼ぶ人もいるかもしれません。 でもそんな大げさなものじゃなくて、ただ自分のデフォルトの体感が変わっただけで、それで急にスピリチュアル能力が開花したとか、何か奇跡やスゴい体験をしたとかそういうのは全くありませんでした。 でも心が楽になれたので、ようやく仕事を始めることができました。それまではとても仕事なんてできるメンタル状態ではなかったので。 それからは仕事に集中し、スピリチュアルなことからはしばらく離れていました。 その後、いろいろあって入院していた時に、母がお見舞いに来ました。 その時になぜかふと、「母に、自分の両親

見えない世界が視えること

このブログではスピリチュアルな話題も少しずつ書いていこうと思います。 いわゆる私は「見えないものが視える人」です。視えるといっても視覚で直接見えるわけではなくて、 感覚と頭の中のイメージで視ています。 何を視ているかというと、まずその人が発するエネルギーのようなもの(オーラとか波動とか感情とか)を感じとっています。 そしてそれを頭の中のイメージや言葉に置き換えて表現することができます。 これは、氣づかずに無意識にやってる方も結構多いかもしれません。いわゆる日本人的な「空気を読む」ってやつですね。 それから、宇宙存在、神様や仏様、天使、精霊、龍等のエネルギーを感じ、つながってコミュニケーションをとることできます。 霊的なものも感じることはできますが、私は積極的に関わりたくないので、なるべくつながらないようにしています。 これも視覚で見えるわけじゃなくて、頭の中で神様や天使や龍をイメージして、「つながろう」と意図するとつながります。そのイメージも、どっかで見たことある絵とか写真だったり、場合によっては普通のオジサンっぽい人とかアニメキャラみたいなやつだったりします(笑) その存在のエネルギーが感じられれば、別にイメージは何でもいいって感じです。 また、なんとなくいい感じ・イヤな感じ、体がゾクゾクする感じ、浮き上がる感じや引っ張られる感じ等、体感があることも多いです。 だから私は基本的に エネルギーを感じ取って、それを頭の中でわかりやすい形に変換して、見えない世界を視ている って感じです。 見えない世界を視る感覚は人によって本当に様々で、ちゃんと視覚で見える人、声だけ聞こえる人、名前と生年月日を聞くとイメージが見える人等、その人の得意な感覚で視えるみたいです。 次の記事 では、私がどうやって視えるようになったか?について書いていきます。 個人セッションも受け付けています

自己肯定感を上げる

自己肯定感を上げる、という言葉があります。自分自身を認める、受け入れる、愛するとも言い換えられます。 自己肯定感を上げるには、自分自身に愛してる、素晴らしい、大丈夫、できるよ、等と肯定的な言葉を事あるごとにかけてあげるのもいいでしょう。 それから、自分を大切にする行動をとる、例えば好きなことをしたり、欲しいものを買う、といったこともいいですね。 もっといいのは、 自己否定をやめることです。 実は 100%自分を肯定しているのが人間の本来の状態です。 それは人間に限らず、植物、動物、そして生き物に限らず この世界の全ての存在は100%自分を肯定しているのが当たり前です。 例えば、植物が「自分はダメなやつなんだ、、、」と思ってはいないでしょう(笑) なんの疑いもなく100%堂々とありのままで存在しています。 これは動物でもそうだし、意思を持たない物質でも、100%そこにありのまま存在しています。 なのに、 人間だけが「自己否定」という特殊能力を使ってる わけです(笑) つまり、がんばって自己肯定感を上げなくても、 自己否定をやめてしまえば勝手に100%自己肯定という状態に戻ってしまう というわけです。 そうはいっても、無意識に染み付いた自己否定の癖はなかなか厄介なので、自分がどんな自己否定をしているか、に気づいていきましょう。 自己否定の思考、信念、感情は100%全てウソ、思い込みです。 どんなにそれがリアルで真実のように思えたとしても、 本来の自分からしたら全て幻想、妄想 なわけです。 この視点を覚えておくと、自己否定に対する向き合い方が変わります。 「はいはい、自分ダメとかうっそー」と相手にしないもヨシ。「そっかー、自分ダメって思ってたんだね。よしよし」と慰めるもヨシ。 こうやって自己否定と向き合っていくと、がんばらなくてもいつのまにか自然と自分を肯定している自分に気づきます。 もちろん、最初に挙げた自己肯定感を上げる方法を併用してもいいと思います。 でも、 無理してがんばって自己肯定感を上げようとするより、まずは自己否定を止めるほうが近道 だと私は思います。

自分を責めることのメリット?

 先日友人とのやりとりで、「自分を責める」というキーワードが出てきました。 どうして人は自分のことを責めてしまうのでしょうか? それは 「自分にメリットがある(と思っている)」 からです。 以前の記事で、人は自分にメリットがあることしかしないという話をしました。 そのメリットとは 「心地よさを感じること」 です。 自分を責めることに心地良さを感じるわけないじゃん!と思うかもしれませんが、 無意識のうちにそれが心地良いと勘違いしている思い込みがある のです。 ここで、その思い込みを知るためにちょっとしたワークをしてみましょう。 それは、 自分を責めることのメリットとデメリットを書き出すこと です。 ノートでも携帯のメモ帳でもなんでもいいのですが、メリット・デメリットをそれぞれ書いていきます。 例えば私の場合、 自分を責めることのメリット ・ダメな自分が変わってより良くなる ・自分に厳しくしたほうがより成長できる ・先に自分を責めておくことで、人から責められるダメージを軽減できる ・自分を責めていれば、自分に厳しい人として周りから褒められる ・自分を責めていたほうが、物事がうまくいく ・自分を責めていたほうがなんとなく落ち着く などなど、、、 自分を責めることのデメリット ・単純に気分が悪い ・自分を責めるのはよくないっていろんな人が言ってる。なんか本当っぽい(笑) こうしてみると、メリットの方めっちゃ多いですね(笑) でもよーく見てください。実は メリットのほうは全て自分の思い込み なんですよ。 つまり、自分を責めたらいろんな理由で心地良くなれると思ってるけど、そのどれもが心地悪くなることばっかりなんです(笑) 自分を責めたら成長できる、褒められる、傷つかない、うまくいく、、、なんて思ってますが、別にそれは自分を責めなくても得られるものです。自分を責めたからといってそうなるわけでもありません。 つまり、 自分ルールを設定して、自分を責めたら心地良くなれると勝手に思い込んでいただけ なんですね。 そこまで気づいたら、あとは簡単。メリットに書いた自分ルールを手放して、書き換えてしまいましょう。 自分を責めることにメリットは一つもない 、と。 みなさんも自分でワークしてみて、自分がいかに自分を責めることにメリットを感じているか、そしてそれは全く必要ないんだということを、ご自

解放する、手放す=受け入れる

思考や感情を手放すことは、それらを変える、消す、追い出すことではありません。 手放すということは、受け入れる、認めること なんです。 手放すという表現が、消す、追い出すことを連想させてしまうかもしれません。 しかし何かを手放すためには、自分がそれを持っているということを一度認識しなければいけません。 自分が持っていると思ってないものを手放すことはできないからです。 これは内面の感情、思考でも全く同じで、自分の内側にそれがある、感じていると認めない限り、ずっと居座り続けます。 逆に言うと、 その感情・思考が自分の中にある、あってもいいと認めた瞬間から、解放が始まります。 わかりやすい例で言うと、親のことをずっと憎んじゃいけない、親は悪くないと思っていた子供が、大人になって自分は親のことをずっと憎んでたんだ、親のせいにしたかったんだ、と気がついた時にその憎しみがスーッと消えてなくなる、といった感じでしょうか。 なので内面を手放す時には、 その思考・感情が自分の中にある、あってもいいと認めること、受け入れること が大事なポイントです。

内面に向き合うポイント 感情

前回の記事の続きです。 内面に向き合う上で大きなポイントになるのが 「感情」 です。 生きていれば、常に何かしらの感情を感じています。 感情は人生におけるスパイスのようなもので、嬉しいや悲しいという気持ちがあることで、私たちの生活に彩りを与えてくれます。 それが適度であればいいのですが、時折感情が猛威をふるって私たちを脅かすかのように感じられることもあります。 例えば、不安や恐れ等はそれがあまりにも強すぎると、何気ない行動すらできなくなることもあります。怒りが強すぎると、それが原因で周りの人との関係を壊してしまうことにもなるでしょう。ネガティブな感情に振り回されていると、最悪の場合自殺や犯罪といったことまでしてしまいます。 それでは感情は悪者なのでしょうか? 実は、 感情自体が悪いのではなくて、それをいつまでも持ち続けていること、が問題 なのです。 感情は思考や周りの状況に応じて自動的に出てくるただの「反応」です。そして感情はその場で感じてしまえばそこで自然と消えていきます。 しかし、そこで感情を無視したり、押さえつけたりすると、消えることなく無意識下にどんどん溜まっていきます。 無視したり、押さえつけた感情は一旦は消えたように思えますが、無意識下に溜まった感情は事あるごとに意識に上がってきます。そして、それを感じるまで何度でも上がってくるのです。 そして感じきれなかった感情が溜まりに溜まったとき、急に爆発したり、普段からは考えられないような衝動的な行動をとってしまったりします。 子供が自由にノビノビして見えるのは、感情をその時その時でそのまま表現し、感じて解放しているからです。 しかし大人になるにつれて、感情を表に出すのはいけないことだと周りから言われたり、忙しくなって感情を無視したりすることで、感情がどんどん内側に溜まってしまうのです。 その溜まった感情を解放することが、内面に向き合うこと、自分に向き合うことの大切なポイントである、ということです。 感情の解放のやり方は、セドナメソッドや瞑想、ブロック解除等いろいろありますが、このブログでもいろいろ書いているのでよかったら参考にしてみてください。 次回に続く!

自分軸で生きる、やりたいことをやるという言葉に引っかかる人へ

最近では自分軸で生きる、自分を大切にする、やりたいことをやるというメッセージを発信する人がとても多くなってきました。そんな私も、自分自身と向き合うというテーマでこのブログを書いています。 一方で、自分軸でいることが大事なのはわかったけど、まだまだ人や世間の言うことに振り回されてしまう、ついつい他人を優先してしまう、あるいはやりたいことをやるのがいいのはわかったけど、やりたいことがわからないとか、なかなか一歩が踏み出せない、というように、自分軸ややりたいことという言葉にモヤモヤしている人も結構多いんじゃないかと思います。 人や世間の言うことに振り回されてしまう、他人を優先してしまう、やりたいことができないこと自体は別に悪いことでもなんでもありません。 ポイントは 「それを自分で選んでいるか」 ということです。 偉い人や有名な人、周りの人が言うことに従うことを 「自分が選んでいれば」 、それはまさに自分軸です。また、自分より他人を優先することを 「自分が選んでいれば」 それも自分軸です。 同じようにやりたいことも、やりたいことがわからないから今はやらない、でもいいし、新しいことを始めるのが怖いからやらない、でも本当にやりたいことではないけど何でもいいからやってみよう、でもそれを 「自分が選んでいれば」 それでいいんです。 もう一つのポイントは、 人間は自分にメリットのあることしかやらない 、ということです。 人の言うことに従う、他人を優先するというのも、やりたいことをやらないというのも 「自分にメリットがあるから」 やってるんです。 そのメリットとは 「自分が心地いい(と思ってる)」 かどうかです。(と思ってる)と書いたのは、本当は違うのに心地良いと思いこんでいることもあるからです。 ある選択肢があって、人がどちらかを選ぶ理由はその方が「後で心地良さを感じられる(と思っている)」からです。 どちらの選択肢もイヤだと思っていても、「どちらがマシ(より心地良い)か」で選びますよね。 なので、あなたの全ての行動、選択は 「 自分が心地良くなれる」 からやっているんです。 そこに違和感、モヤモヤを感じるということは自分の中に思い込みがあるということです。その思い込みは 「それをやれば自分が心地よくなれると思いこんでいる」 です。 何かをしない、できないというのも、その方が自分に

内面に向き合うポイント 思考

自分の内面に向き合うことが大切だ、となんとなくわかっていても何からどう向き合えばいいかわからない、という方もいると思います。 ここでは、内面に向き合うときのとっかかり、つまり何から向き合えばいいか?についてのヒントを書いていきたいと思います。 まず内面といえば?でわかりやすいのが思考だと思います。つまり、自分が今何を考えているか、ということです。 一説によると人間は1日に6万回以上思考するとも言われていて、想像以上に思考を使っているようです。 その全てを把握することは不可能だと思いますが、ある程度自分がどんな思考をしているかに気づく方法があります。それが 「書き出し法」 と 「自己観察法」 です。 「書き出し法」 はノートとペンを用意して、時間を決めて自分が考えていることを全て書き出すというものです。 例えば15分と決めて、頭に浮かんだすべての思考を書き出します。そのときに綺麗に文章で書く必要はなくて、とりとめのないこと、急に浮かんだ全然関係ないこともどんどん書いていきます。 私の場合は「よしなんか書いてみようって言っても書けって言われたら何書いたらいいかわからんよなーそういえば今日のお昼ごはん何にしよう昨日の残りあったっけまあでも久々に外食してもいいかなーでも雨降ってるから外出るのめんどくさいしなーそしたら配達にしようかなそれから、、、、」 みたいな感じで、独り言みたいなのをつらつらと書いていきます。人に言えないようなことも意味不明なこともどんどん書いていきます。誰かに見せるわけじゃないので(笑) そうやって決めた時間がきたら、自分が書いたものをざっと見直してみます。いろいろと気づきがあるかもしれません。どうでもいいことばっかりだなー、とかグチばっかりだなー、とか(笑) これをやっていると気づきがあるだけじゃなくて、意外とスッキリしている自分に気づくと思います。暇なときにやったりすると、ストレス解消にもなりますよ。 もう一つの方法が 「自己観察法」 です。こちらは特に道具等は使いません。 やり方は、湧いてくる思考をひたすら観察する、です。湧いてくる思考をジャッジせず止めようともせずただひたすら眺めている感じです。 ある意味瞑想みたいなものですが、自己観察は特に思考を止めようとする必要はなく、呼吸等別のものに意識を向ける必要もなく、湧いてくる思考をただ眺めているよう

地道にコツコツ解放する

セドナメソッドに限らず、内面を解放するということは続けていくことが本当に大事です。 何かのメソッドを一回やっただけで一気に変わる、一発逆転的なものを求める気持ちもよーーーーくわかりますが(笑)結局のところ、 一番の近道は地道にコツコツ続けること だと思うのです。 私がそもそも潜在意識やスピリチュアルの知識を求めたのも、そういう目に見えない何かを使ってこの現状を一発逆転してやろうという思いからだったので、そう思いたくなる気持ちは本当によくわかるんです。 しかし、そういう一発逆転的な発想は、「私の現状はそれくらいのことをしないと変わらない」というネガティブな思いに支えられています。 つまり、 一発逆転しようと思えば思うほど、それくらいしないと変わらない現状というのを強固に作り出してしまう ことになるのです。 その思いの裏には今の現状に対する無力感、焦り、怒り、不安等様々な感情が渦巻いています。それから、コツコツやっていくことに対する無力感、怒り、結果が出なかったらどうしようという不安や恐怖といったものがあるわけです。 なのでまずはいったん深呼吸。そのあとに、浮かんできたそれらの感情に一つ一つ向き合ってみます。一気に手放そうとしなくても大丈夫、それも一発逆転的発想ですよ(笑) このように何かに対する強い思いが湧いてきたとき、そこにくっついている感情を手放していくことで、みえてくるものがあります。 もし頭の中だけでやることが難しければ、紙等に書きだしてみて整理するとやりやすくなると思います。湧いてきたら向き合う、焦らずに一歩一歩いきましょう。 ・補足 この話は一発逆転的な発想が悪い、ということではなくて、その思いが湧いてきたときどんな気持ちがするんだろう?ということです。ポジティブで穏やかな感じであれば問題ないと思いますが、なんかイヤな感じ、心地よくないと感じる時は、そっちじゃないよーのサインです。そのときにどんな気持ち、感情かに注目してくださいということです。

感情のスケールとデフォルトの状態

エイブラハムの感情の22段階というものがあります。感情の段階をポジティブからネガティブ、波動が高いものから低いものへ22に分けた一覧です。 1.喜び/智/溢れる活力/自由/愛/感謝 2.情熱 3.興奮/没頭/幸福感 4.ポジティブな期待/信念 5.楽観 6.希望 7.満足 8.退屈 9.悲観 10.フラストレーション/イライラ/我慢 11.圧迫感 12.落胆 13.疑念 14.心配 15.自責 16.挫折感 17.怒り 18.復讐心 19.憎しみ/激怒 20.嫉妬 21.不安(身の危険)/罪の意識/無価値 22.恐怖/悲嘆/憂鬱/絶望/無能 ここではエイブラハムについての説明は省きますが、セドナ本でも感情を9つの状態に分けていて、ほぼこれに一致します。 ここであなたに質問です。あなたのデフォルトの感情はどれでしょう? デフォルトというのは、特に何もしていない時の感情のことです。 これが正解!というのがあるわけではないのですが、このデフォルトの感情について私自身は衝撃的な気づきがありました。 私はセドナメソッドに出会って内面の解放を知るまでは、人間のデフォルトは21か22の不安や恐怖だと本気で思っていました。 人間というのはネガティブなのが当たり前で、ポジティブな感情を体験するためにはがんばらなくてはいけないと思っていました。 しかし内面の解放をしまくった現在、デフォルトは6〜8の希望、満足、退屈であり、たまにネガティブに落ちることがあっても比較的短期間でもとに戻るようになりました。 これに気づいた時はあまりに衝撃的で、いつの間にかデフォルトの状態が変わっていることに自分で自分にビックリしました。といってもここまで来るのに5〜6年はかかっているのですが(笑) これは無理してポジティブシンキングしまくった結果こうなったわけではなく、感情をひたすら手放しまくった結果、特に何をしなくてもなんとなく安心、穏やかな気持ちに自然となるようになりました。 最初は現実の良い変化を求めて内面の解放をしていましたが、自然と穏やかで安心した気持ちになれることこそが、気づきと解放の最高の恩恵であったと思います。 ・補足 この話は「デフォルトをなるべくポジティブなものにしましょう」とか「デフォルトがネガティブではダメですよ」ということではありません。 まずは自分の内面の現在位置を把握する、とい

生きづらさはギフト

私は物心ついたときから「生きづらさ」を抱えていました。 自分自身であることが苦しい、何をしてもどこに行っても心の底から満たされることがない、ネガティブな思いが溢れて止まらない、そんな苦しさを抱えていました。 そんな苦しさを抱えながら、周りに振り回され、なんとか誤魔化しながらただただその場をやり過ごすように生きていました。 その頃の生きづらさとは、「戦って駆逐するべき敵」のようなものでした。 この苦しさをどうにかしなければならない、でもどうしていいかわからない。 そんな風に苦しさに圧倒され、まるで際限なく迫ってくる悪者のように思えました。 大人になって、潜在意識やスピリチュアルの知識に出会ってからは、生きづらさは「向き合うもの」に変わっていきました。 この苦しみをどうにかできる対抗手段をやっと見つけた!そんな喜びと、なんとかこれを使って苦しみを消さなければ!という思いで、必死に本を読みまくり、あちこちから知識を得て、それを実践するということをひたすら繰り返していました。 そんなときに出会ったのが 「自愛」 という言葉でした。 最初は、自分を愛していれば現実が上手くいく、願望が叶う、という方法論として捉えていました。 そこでふと、「自分を愛するってどういうことだろう?」と思いました。 その時、そもそも自分のことを愛する、好きになるという発想すら全くなかったことに気づいたんです。 愛する、という言葉は知っていても、それは何だかうさんくさい、キレイゴトだ、あるいは映画やドラマや歌の中だけの話で、そんなもの現実にはない、そんな風に思っていたことに気づきました。 そこで、自分に「愛してるよ」と言ってみることにしました。 その時は愛してるよのあの字も言えずに、ただただ気持ち悪さと居心地の悪さが湧き上がってきました。 自分のことをこんなにも愛していない自分に初めて気づいた時、涙が止まりませんでした。あぁ、自分のことをこんなにイジメてたんだ、ないがしろにしてたんだ、置き去りにしてたんだ、、、 その時から自分の中の生きづらさ、苦しさが少しずつ溶けていく感覚がありました。それと同時に、あんなに苦しい、地獄だと思っていたこの世界が、何だか優しいものに変わったような気がしました。 それからも自愛と自分に向き合うことを続けていくと、 生きづらさは「自分からのサイン」 になりました。 今自分のこ

セドナメソッドは命の恩人

なぜ私がこんなにもセドナメソッドを推しまくるのかといいますと、文字通り セドナメソッドに命を救われた からなんです。 過去にうつ病やパニック等を何度も経験し、人生に絶望して何度も死にたいと思っていた私が、今心穏やかに、軽く生きられているのも、まさにセドナメソッドのおかげだからです。 セドナメソッドは心の松葉杖であり、お薬であり、穏やかで軽やか世界を体験するための鍵でもありました。 性格的、環境的に感情を抑え込みがち、あるいは表現することが難しい人に、一人でも多くこのメソッドを知って欲しいと思います。

内面には様々なトラップがあるのでひっかかりやすい

内面を手放すのが難しいと感じるとき、だいたい2つのトラップにはまっています。 それは 「抵抗」 と 「否認」 です。 抵抗は、感情を手放したくない、感じたくないという感じで表れてきます。 例えば、行動するのが怖いという恐れの感情があって、それを手放したら行動するような状況になってしまうとか、うっかり行動してしまって後で後悔するかもしれない、と思って、恐れの感情を手放したくないと思っています。 この場合、恐れをいくら手放そうしても手放したくないという抵抗がどんどん強くなってしまって全然手放せない、ということが起きるわけです。 なので、ここでは先に「恐れを手放したくないという抵抗」を手放すと、不思議と元の恐れも自然と手放せちゃったりします。 もう一つ、否認のパターンもあります。 否認は、そんなの感じてない、そんな感情あるわけないといった形で起こります。 わかりやすい感情が 「嫉妬」 です。誰かに嫉妬したとき、無意識のうちに私は嫉妬なんてしていない、とか、私が誰かに嫉妬するわけない、と速攻で嫉妬をなかったことにするのは割と思い当たる人も多いんじゃないでしょうか?(私もよくやります 笑) この場合は、何度も同じ感情出てきてることが多いので、繰り返し出てくる感情のパターンに気づいたら、もしかして認めたくない感情があるのかも?と疑ってみると気づけることがあります。 感情を手放すのが難しいなーと感じたら、この「抵抗」と「否認」を疑ってみてください。

内面ははっきり目に見えないのでわかりにくい

前の記事で、内面を手放すのが難しく思えるのには2つの理由があると書きました。 今回はそのうちの一つ、 「目に見えないのでわかりにくい」 について書いていきます。 内面の感情や思考は目に見えないものです。だから手放すといっても何を手放すのか?ちゃんと手放せてるのか?というふうになりやすいんだと思います。 一つの方法は、 可視化してみる ことです。 イメージで、今のこの感情はどんな色だろう、どんな感触だろう、どんな形だろう、と想像してみるのです。 例えば、怒りだったら赤くてドロドロしたヘドロみたい感じ、とか悲しみだったら青くて綿みたいにフワフワしてる、とかです。 そんなイメージの感情を手放すと、スルスル〜っと自分の中から抜けていく、あるいは煙みたいになってスーっと空に登っていく、という映像を思い浮かべてみるとどうでしょう? あるいは、そのまま絵に描いてしまってもいいかもしれません。気の済むまで描きなぐったら、ビリビリに破いてゴミ箱にポイとか(笑) 自分の好きなように可視化してみるとオモシロいかもですね。 他の方法で私がよくやってるのは、 体感する という方法です。 感情を感じるときはだいたい体のどこかに反応があるので、その感覚をひたすら感じていきます。 そうすると、その感覚がだんだん柔らかくなってきて、気がついたら何事もなかったかのように綺麗サッパリなくなったりします。 私は手放しする時はいつもこっちの方を使っています。 いろいろ自分なりにしっくりくる方法を探るのも楽しいですよ〜。

あらためて、セドナメソッドとは

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このブログではだいぶ前からセドナメソッドというものについて書いていますが、メソッドに出会ってから約8年、セドナメソッドとは何かについてあらためて書いていこうと思います。 セドナメソッドとは? →簡単に言うと、 内面のクリーニング法 です。感情は感じきることでなくなりますが、抑え込んだり上手く表現できないことによって内面にどんどん溜め込まれてしまいます。その溜め込まれた感情をあらためて感じて手放していくための方法です。 どうやってやるの? →本で紹介している基本的な方法は 今何を感じていますか? ↓ その感情を認めることができますか? はい/いいえ ↓ その感情を手放せますか? はい/いいえ ↓ その感情を手放しますか? はい/いいえ という質問を自分に問いかけていくものです。 でも質問することにこだわる必要はなくて、感情をそのまま感じられるならそのほうが早いです。 内面に意識を向ける習慣がなかった人、自分が何を感じているかよくわからない人は質問でやったほうがとっかかりやすいです。 特別なトレーニングが必要? →感情を感じるということは人間の自然な機能なので、あらためて特別な技術を身につける必要はないです。ただ、感情をあえて感じるという感覚を掴むのに慣れが必要かな、と思います。 人間って意識的に感情を感じることって意外となかったりするので、まずは自分の内面に意識を向ける、自分が何を感じているかに意識を向けてみるという習慣づけが結構大事なポイントです。 やってみたけど、全然効果なかったよ? →最初のうちは、目に見える体感がないことのほうが多いかもしれません。私も最初の頃は手応えを感じられず、効果があるのかよくわかりませんでした。でも続けているうちにだんだんと体感できるようになってきました。筋トレやダイエットが1日で目に見える効果があるわけではないように、セドナメソッドも継続していくことで大きな効果が得られます。 はっきりとした効果がなくても、自分の感情に意識を向けた時点でもう解放のプロセスは始まってるので、体感できなくてもしばらく続けてみてください。 私の場合は、感情を手放す以外もうどうしようもないというところまで追いつめられていたので、効果があるかはともかくもうそれにすがるしかないって感じでした(笑) セドナメソッドというものに少しでも惹かれるものがあれば、それはあな

体験することの重要性

私は一昨年とある病気で死にかけてから、生きることの尊さを実感しました。 3ヶ月に及ぶ入院生活で、病院の外にでることすらままならない時期もあり、当たり前のことが当たり前にできること、普通に生活できることのありがたさをイヤというほど実感しました。 でも、病状が落ち着いて普通に生活できるようになると、そんなありがたさも忘れて今の現状に不満を持ち始めたりするんですよね。 それでも、あの生きているだけでありがたい感覚を体感できたことは本当によかったと思っています。 親のありがたみを親から離れて初めて体感するように、当たり前にあったものを失って初めて気付くありがたさというものがあるんでしょうね。 そしてそれは忘れて現状に不満を漏らし始めるのも人間の性(笑) でも、一度でも体感すると忘れない。だからこそ、頭で理解するだけじゃなく実際に体験することが大事なことなんだと思います。