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生きづらさはギフト

私は物心ついたときから「生きづらさ」を抱えていました。 自分自身であることが苦しい、何をしてもどこに行っても心の底から満たされることがない、ネガティブな思いが溢れて止まらない、そんな苦しさを抱えていました。 そんな苦しさを抱えながら、周りに振り回され、なんとか誤魔化しながらただただその場をやり過ごすように生きていました。 その頃の生きづらさとは、「戦って駆逐するべき敵」のようなものでした。 この苦しさをどうにかしなければならない、でもどうしていいかわからない。 そんな風に苦しさに圧倒され、まるで際限なく迫ってくる悪者のように思えました。 大人になって、潜在意識やスピリチュアルの知識に出会ってからは、生きづらさは「向き合うもの」に変わっていきました。 この苦しみをどうにかできる対抗手段をやっと見つけた!そんな喜びと、なんとかこれを使って苦しみを消さなければ!という思いで、必死に本を読みまくり、あちこちから知識を得て、それを実践するということをひたすら繰り返していました。 そんなときに出会ったのが 「自愛」 という言葉でした。 最初は、自分を愛していれば現実が上手くいく、願望が叶う、という方法論として捉えていました。 そこでふと、「自分を愛するってどういうことだろう?」と思いました。 その時、そもそも自分のことを愛する、好きになるという発想すら全くなかったことに気づいたんです。 愛する、という言葉は知っていても、それは何だかうさんくさい、キレイゴトだ、あるいは映画やドラマや歌の中だけの話で、そんなもの現実にはない、そんな風に思っていたことに気づきました。 そこで、自分に「愛してるよ」と言ってみることにしました。 その時は愛してるよのあの字も言えずに、ただただ気持ち悪さと居心地の悪さが湧き上がってきました。 自分のことをこんなにも愛していない自分に初めて気づいた時、涙が止まりませんでした。あぁ、自分のことをこんなにイジメてたんだ、ないがしろにしてたんだ、置き去りにしてたんだ、、、 その時から自分の中の生きづらさ、苦しさが少しずつ溶けていく感覚がありました。それと同時に、あんなに苦しい、地獄だと思っていたこの世界が、何だか優しいものに変わったような気がしました。 それからも自愛と自分に向き合うことを続けていくと、 生きづらさは「自分からのサイン」 になりました。 今自分のこ

セドナメソッドは命の恩人

なぜ私がこんなにもセドナメソッドを推しまくるのかといいますと、文字通り セドナメソッドに命を救われた からなんです。 過去にうつ病やパニック等を何度も経験し、人生に絶望して何度も死にたいと思っていた私が、今心穏やかに、軽く生きられているのも、まさにセドナメソッドのおかげだからです。 セドナメソッドは心の松葉杖であり、お薬であり、穏やかで軽やか世界を体験するための鍵でもありました。 性格的、環境的に感情を抑え込みがち、あるいは表現することが難しい人に、一人でも多くこのメソッドを知って欲しいと思います。

内面には様々なトラップがあるのでひっかかりやすい

内面を手放すのが難しいと感じるとき、だいたい2つのトラップにはまっています。 それは 「抵抗」 と 「否認」 です。 抵抗は、感情を手放したくない、感じたくないという感じで表れてきます。 例えば、行動するのが怖いという恐れの感情があって、それを手放したら行動するような状況になってしまうとか、うっかり行動してしまって後で後悔するかもしれない、と思って、恐れの感情を手放したくないと思っています。 この場合、恐れをいくら手放そうしても手放したくないという抵抗がどんどん強くなってしまって全然手放せない、ということが起きるわけです。 なので、ここでは先に「恐れを手放したくないという抵抗」を手放すと、不思議と元の恐れも自然と手放せちゃったりします。 もう一つ、否認のパターンもあります。 否認は、そんなの感じてない、そんな感情あるわけないといった形で起こります。 わかりやすい感情が 「嫉妬」 です。誰かに嫉妬したとき、無意識のうちに私は嫉妬なんてしていない、とか、私が誰かに嫉妬するわけない、と速攻で嫉妬をなかったことにするのは割と思い当たる人も多いんじゃないでしょうか?(私もよくやります 笑) この場合は、何度も同じ感情出てきてることが多いので、繰り返し出てくる感情のパターンに気づいたら、もしかして認めたくない感情があるのかも?と疑ってみると気づけることがあります。 感情を手放すのが難しいなーと感じたら、この「抵抗」と「否認」を疑ってみてください。

内面ははっきり目に見えないのでわかりにくい

前の記事で、内面を手放すのが難しく思えるのには2つの理由があると書きました。 今回はそのうちの一つ、 「目に見えないのでわかりにくい」 について書いていきます。 内面の感情や思考は目に見えないものです。だから手放すといっても何を手放すのか?ちゃんと手放せてるのか?というふうになりやすいんだと思います。 一つの方法は、 可視化してみる ことです。 イメージで、今のこの感情はどんな色だろう、どんな感触だろう、どんな形だろう、と想像してみるのです。 例えば、怒りだったら赤くてドロドロしたヘドロみたい感じ、とか悲しみだったら青くて綿みたいにフワフワしてる、とかです。 そんなイメージの感情を手放すと、スルスル〜っと自分の中から抜けていく、あるいは煙みたいになってスーっと空に登っていく、という映像を思い浮かべてみるとどうでしょう? あるいは、そのまま絵に描いてしまってもいいかもしれません。気の済むまで描きなぐったら、ビリビリに破いてゴミ箱にポイとか(笑) 自分の好きなように可視化してみるとオモシロいかもですね。 他の方法で私がよくやってるのは、 体感する という方法です。 感情を感じるときはだいたい体のどこかに反応があるので、その感覚をひたすら感じていきます。 そうすると、その感覚がだんだん柔らかくなってきて、気がついたら何事もなかったかのように綺麗サッパリなくなったりします。 私は手放しする時はいつもこっちの方を使っています。 いろいろ自分なりにしっくりくる方法を探るのも楽しいですよ〜。

あらためて、セドナメソッドとは

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このブログではだいぶ前からセドナメソッドというものについて書いていますが、メソッドに出会ってから約8年、セドナメソッドとは何かについてあらためて書いていこうと思います。 セドナメソッドとは? →簡単に言うと、 内面のクリーニング法 です。感情は感じきることでなくなりますが、抑え込んだり上手く表現できないことによって内面にどんどん溜め込まれてしまいます。その溜め込まれた感情をあらためて感じて手放していくための方法です。 どうやってやるの? →本で紹介している基本的な方法は 今何を感じていますか? ↓ その感情を認めることができますか? はい/いいえ ↓ その感情を手放せますか? はい/いいえ ↓ その感情を手放しますか? はい/いいえ という質問を自分に問いかけていくものです。 でも質問することにこだわる必要はなくて、感情をそのまま感じられるならそのほうが早いです。 内面に意識を向ける習慣がなかった人、自分が何を感じているかよくわからない人は質問でやったほうがとっかかりやすいです。 特別なトレーニングが必要? →感情を感じるということは人間の自然な機能なので、あらためて特別な技術を身につける必要はないです。ただ、感情をあえて感じるという感覚を掴むのに慣れが必要かな、と思います。 人間って意識的に感情を感じることって意外となかったりするので、まずは自分の内面に意識を向ける、自分が何を感じているかに意識を向けてみるという習慣づけが結構大事なポイントです。 やってみたけど、全然効果なかったよ? →最初のうちは、目に見える体感がないことのほうが多いかもしれません。私も最初の頃は手応えを感じられず、効果があるのかよくわかりませんでした。でも続けているうちにだんだんと体感できるようになってきました。筋トレやダイエットが1日で目に見える効果があるわけではないように、セドナメソッドも継続していくことで大きな効果が得られます。 はっきりとした効果がなくても、自分の感情に意識を向けた時点でもう解放のプロセスは始まってるので、体感できなくてもしばらく続けてみてください。 私の場合は、感情を手放す以外もうどうしようもないというところまで追いつめられていたので、効果があるかはともかくもうそれにすがるしかないって感じでした(笑) セドナメソッドというものに少しでも惹かれるものがあれば、それはあな